Post O’Alls POST Chinois Travail 2 Cotton Covert Grey 寒さを越えた先に、いちばん出番がある服 フレンチワークとフレンチチャイナ、その空気が自然に溶け合った『POST Chinois Travail 2』。 かしこまりすぎず、かといって無骨にも寄りすぎない。 その「ちょうどよさ」が心地いいジャケットです。 正直に言うと、今の時期にこれを羽織って外へ出るのは寒いです。でも、ここ何日か着たり眺めたりしているうちに、春の気配が混じりはじめた頃の姿が自然と想像できるようになりました。 寒さのピークを越えた途端に、この服は一気に現実的な存在になります。 近年の長い『中途半端な季節』を考えると、実はこれくらいの厚みがいちばん出番が多いのかもしれません。 “黒”よりも柔らかく、日常に溶け込む色と質感 生地は、通称“ゴマ塩”ともブラックシャンブレーとも呼ばれる『Cotton Covert』。 黒ほど重たくなく、でも軽すぎない。 生地そのものにきちんと存在感がありながら、合わせる色を選ばないのがこの素材の良さです。 さっと出かけるときも、少しちゃんとしたい日も、そのまま使える。 このバランスは、日常着としてとても優秀だと思います。 気負わずに羽織れる、素直なボックスシルエット 形はとても素直です。 身幅をたっぷり取ったボックス型に、柔らかな印象のラウンドカラー。 着丈は少し短めで、感覚としてはジージャンに近い存在かもしれません。 中に着たシャツを少し裾から覗かせるくらいが、全体を軽く見せてくれます。 いつものサイズも、あえてのサイズアップも 今回は、普段Mサイズの僕がLサイズを着用して撮影しました。 これが意外と悪くなくて、少し力の抜けた雰囲気になります。 いつものサイズで素直に着てもいいし、あえてサイズを上げてラフに羽織るのも、この服らしい楽しみ方だと思いました。 ちょうど良いの着地点 春から秋にかけて、「ちょうど良いジャケットって何だろう?」と考えたときの、私なりの一つの答えです。大袈裟に言えば、ですが。 今季はHOPPER’S BRUNCHやSASSAFRASからもおすすめのジャケットは入ってきます。 でも、Postが好きな人にとっては、やっぱりこれなんです。 大人の日常着として、とても素直な一着です。 https://kado-onomichi.jp/product/post-oalls-post-chinois-travail-2-cotton-covert-grey/ Post O’Alls Atelier DEE Vintage Indigo Canvas Deep Washed アトリエの静寂に、ハンティングの意匠を添えて Post O’Allsの今シーズンの新型ショップコート『Atelier DEE』。 アトリエコートらしい落ち着いた佇まいを土台にしながら、フロントにはハンティングジャケットに着想を得たDEEポケットを備えた一着です。 どこかユーモラスで、道具感の漂う独特なポケットの形状。 ですが袖を通してみると、ポケットの存在は自然と装いに溶け込み、気づくと手が収まっている。 動きの中でこそ完成する、道具としての必然性 下側を縫い付けない“ふらし”構造によって、ポケットが歩く動作に合わせて自然に揺れ、重なり合うことでフロントに立体的な奥行きが生まれます。 デザインとして主張するというより、動いたときに初めて意味を持つ。 そんな道具としての必然性が感じられる作りです。 ハンティング由来の力強さを持ちながら、ベースはあくまでショップコート、アトリエコートの文脈。 だから土臭くなりすぎず、フレンチワークとアメリカンワークのちょうど中間にあるような絶妙なバランスに収まっています。 表情を変えるシルエットと、静かな後ろ姿 ボタンを上まで留めれば、ワークウェアらしい構築的なAラインの佇まいに。 フロントを開けて羽織れば、風をはらんで流れるような軽快なシルエットへと変化します。 センターベントもしっかりと深く取られているため、ロング丈ながら後ろ姿は静かで、余計な主張がありません。 生地には、インディゴ染めしたキャンバスをディープウォッシュで仕上げた素材を使用しています。 平織りのキャンバスらしい、デニムとは違う乾いた手触りがありつつ、洗いをかけることで、最初から身体にすっと馴染む柔らかさがあります。 欧州のワークウェアを彷彿とさせる、キャンバスの奥行き やわらかいけれど、頼りないわけではない。 その感覚が、袖を通したときにきちんと伝わってきます。 特に目を引くのが、主要な縫製箇所に現れたパッカリングです。 インディゴの色味と同色で入れられたステッチが、生地に静かに重なり、派手さはないのに、立体感と奥行きがじわじわと浮かび上がってくる。 綾織りのデニムにはない、平織りならではの表情で、どこかフランスやドイツの古いワークウェアを思わせる落ち着きがあります。 完成はまだ先。ちょうど「五合目」に立つ素材の余白 すでに時間を重ねたような顔つきですが、ここで完成というわけではありません。 着込むほどに体に沿い、色やシワが少しずつ深まっていく。 その変化を待てる余白が残って、完成形はまだ先。 今は、ちょうど五合目あたりに立っている素材だと思います。 その「まだ先」は、生地だけの話ではありません。 DEEポケットの裏側には、さらに二つのポケットが仕込まれており、表からは見えないその部分にも、使い込むことで少しずつ表情が刻まれていきます。 ディープウォッシュで時間をショートカットしながらも、これから先にしか現れない変化をきちんと残している。 その細かな仕掛けが、このコートへの期待を静かにつないでくれます。 季節を跨ぎ、着るほどに深まる「静かな仕掛け」 厚みは重すぎず、かといって頼りなくもない中肉のキャンバス。 デニムほどの重量感はないけれど、シャツよりもしっかりしていて、羽織ったときに自然と安心感があります。 わずかに長めの着丈を活かして、まだ肌寒い時期にはジャケットの上から、あるいはこのコートの上にさらにベストを重ねるような自由なレイヤードも楽しめます。 春先にはカットソーの上にさらっと羽織るだけでも様になります。 バスクシャツでフレンチヴィンテージに寄せるもよし、ハットやベレーで職人気質に振るもよし。 ハンティングの機能美と、アトリエの知性が同居する『Atelier DEE』は、すでに時間を重ねたような顔をしながら、細部にはこれからの変化を待つ余白が残された一着です。 着るほどに、その静かな仕掛けがじわじわ効いてくるコートだと思います。 https://kado-onomichi.jp/product/post-oalls-atelier-dee-vintage-indigo-canvas-deep-washed/ SCiENCE LONDON Fishtail Parka TG-02 Dark Panel 理性と実験の終着点 —— SCiENCE LONDONという名の「完全体」 SCiENCE LONDONというブランドを語るとき、つい「歴史」や「希少性」といった言葉から話を始めてしまいがちですが、本当はそんな入口から語る服ではないと思っています。 これは流行やシーンの産物ではなく、もっと個人的で、もっと不器用で、そして膨大な時間と情熱を必要とする場所で生まれた、ティムの「意志」そのものだからです。 1980年代、ロンドン。 ティム・ウォリンジャー(Tim Wallinger)の手によって、SCiENCEは生まれました。 当時、まだ珍しかった独立系メンズウェアデザイナーとして活動していた彼の服づくりは、クラシックでもストリートでもない、どこか張り詰めたような緊張感をまとっていました。 時代に迎合せず、自分が信じる形だけを追い続ける。 合理性と衝動、理性と実験。そのせめぎ合いを、服という形に落とし込む。 〈SCiENCE〉という名前には、そんな彼の姿勢がそのまま刻まれています。 構築的な“ツギハギ” 今回、長い沈黙を破って復活したこのフィッシュテールパーカは、SCiENCEというブランドを象徴する一着です。 ベースにあるのはM-51フィッシュテールパーカ。しかしそこには、左右非対称に、パネル状に切り替えられた複数の素材が混在しています。 一見すると、それは奔放な“ツギハギ”に見えるかもしれません。 けれど、その実態は極めて構築的で、極めて理性的なプロダクトです。 パーツごとに異なる生地を使い、それぞれの厚み、張り、重さを細かく読み取りながら組み上げる。 視覚的なインパクトの裏側には、数ミリ単位で設計されたバランスと、冷静すぎるほど整理された設計図が存在します。 感覚で作られているように見えて、実は「感覚だけ」では決して辿り着けない。 このパーカは、そんな高い知性の上に成り立っています。 「現実的ではない服」が持つ価値 このパーカを成立させるには、膨大な時間が必要です。 過去にこのパネル仕様が作られたときも、完成までに3年ほどかかったと聞いています。 理由は単純です。 効率や量産のロジックを優先した瞬間に、この服は成立しなくなるから。 生地の組み合わせ、縫製の順番、仕上がりのわずかな重心の違い。 ひとつでも妥協すれば、この圧倒的な存在感は生まれません。 だからこそ、この服は常に「現実的ではない服」として、限られた時間の中でしか生み出されてこなかったのだと思います。 ライニングがつくる、もうひとつの完成度 このパーカの完成度を語るうえで、もうひとつ欠かせないのがライニングの存在です。 付属品、と呼ぶにはあまりにも仕事をしすぎている。 このライニングは、単体で見れば一着のカーディガンジャケットのように成立しています。しっかりと厚みがあり、袖を通すと想像以上に暖かい。軽いインナーではなく、れっきとしたアウター寄りの存在感です。 コートに装着した状態では、その重みが自然と全体を下へ引き、シルエットがすっと落ち着く。重心が下がることで風が入りにくくなり、着心地はより“防寒着らしい”ものへと変わります。見た目にも、ずっしりとした安心感が加わる。 一方で、ライニングを外したときの変化も驚くほどはっきりしています。 コート単体になると、空気を含んだような軽やかさが現れる。身幅や裾に余白が生まれ、風が入れ替わるような感覚すらある。春や秋には、この表情の変化がとても心地いい。 コートとして着る。 ライニングを重ねて着る。 そして、ライニングだけを一着として着る。 この三つの状態すべてが最初から想定され、バランスまで含めて設計されている。 「取り外せる」という機能の話ではなく、着方が変わることで服の性格そのものが切り替わる。 その変化までもが、きっと計算のうちなのだと思います。 10年の月日と、消えなかった憧れ 実は、僕はこのパネル状のフィッシュテールパーカを、ずっと欲しいと思っていました。 かつて、僕が働いていた店に、このモデルが入荷してきたことがあったんです。 洋服屋として、「お客さんが先」というのは当たり前のこと。 頭では分かっていながら、心の中では「売れないでくれ」と念じてしまった。 でも、そんな願いも虚しく、そのパーカはすぐに完売しました。 嬉しさと同時に、どうしようもない悔しさが残った。 不思議と、その気持ちは時間が経っても消えませんでした。 その後、どうしてもサイエンスのパーカが欲しくて、一着だけ用意してもらったのが、いまも10年以上着続けているオイルドコットンのモデルです。 自分以外に着ている人を見たこともないし、展示会に行くと諸先輩方に褒められることも多い。とても気に入っている一着です。 それでも、心のどこかにはずっと 「もし、あのパネルのフィッシュテールがもう一度作られるなら」 そんな思いが燻り続けていました。 受け継がれた意志、そして英国の矜持 その後、さまざまな事情が重なり、SCiENCEのフィッシュテールパーカは長い間作られなくなりました。 ティム自身は第一線を退き、正直、もう二度と作られないと思っていました。 だから今回の復活は、単なる「復刻」ではありません。 長年ティムの仕事を愛し、その思想を深く理解してきた日本人の手によって、その意志が再び形になったのです。 イギリスの生地を使い、イギリスの職人が縫い上げる。 実験的で前衛的なデザインの深層に、揺るぎない英国のクラフトマンシップが脈打っている。 例えば、ライニングの縁を彩る伝統的なハウンドトゥース(千鳥格子)のパイピング。 装着したとき、縁からほんの少しだけ覗くように計算されたその出具合は、出過ぎず、隠れすぎない。 ダークトーンを基調とした静かな世界の中で、気づく人だけが気づく、美しいアクセントです。 そして、ライニングに至るまで一切の妥協を排したその作りは、「便利さ」よりも「正しさ」を、何よりも優先していることを静かに物語っています。 完全体という言葉の意味 このパーカを見ていると、「誰に向けて作られたのか」という問いそのものが、あまり意味を持たないように思えてきます。 マーケティングの回答や、売りやすさという名の正解のための服でもなく、誰かにアピールするための服でもない。 そこにあるのは、「どうしてもこの形でなければならなかった」という剥き出しの意志だけです。 擦り切れても気にせず着る。 破れたら直す。 時間とともに変わっていく姿さえも、そのまま受け入れてくれる。 誰も着ていない。 けれど、決して奇抜ではない。 それは、着る側の「覚悟」を静かに問いかけてくる、アートピースのような服です。 「価値」の意味を問いかける一着 正直に言うと、 おすすめしたい気持ちと、教えたくない気持ちが、今も同時にあります。 本当は、店で、顔を見て、喋って売りたい。 売れてしまう不安と、旅立っていく寂しさ。 それでも、誰かの人生に残ってほしいという願い。 あの日の憧れと、復活の嬉しさと、売れていく未練。 すべてが詰まった一着です。 1980年代から作り続けられてきた、SCiENCE LONDONのフィッシュテールパーカ。 これは、一つの完成形です。 服の値段を超えて、 「価値」という言葉の本当の意味を、静かに教えてくれる一着だと思っています。 https://kado-onomichi.jp/product/science-london-fishtail-parka-tg-02-dark-panel/